‪( ´•̥  ̫ •̥` )‬


わたしは小6からアイドルヲタクをしている。

長いヲタク人生の中でここに来て気づいたことも多く、その中でも特に気をつけていることがいくつかある。


①同じ服は着ない

これはもうむしろ意地。

個人的に同じ服は着たくない。

特典会があれば尚更だ。

これは服装のみに限ったことではなく、身なり総合的に言えることなのだが、ヲタクをし始めた小6〜高3くらいまでは、自己満足で選んだ服を着ていた。

全身赤とか(極度の色厨だった)、おそろコーデ(クソダサ)とか、衣装コスプレもしてた(これはむしろ黒歴史)。

他人がする分には別にいいと思うけど、低クオリティーの服装はウケ狙いだと気づいた。

本当に推しに「可愛い」と思ってほしいなら渾身のデート服みたいな、オシャレ着を着るべきだったといまいろんな思い出を見返す度に思う。


②推しに理想を押し付けない

これは48グループを推し始めて思い知らされた。

わたしは当時、HKT48村重杏奈ちゃんを推していた。握手券もなけなしのバイト代のほぼを費やしてたくさん買ってた。

その日でわたしにとって2~3回目の握手会だった。わたしは本気で村重杏奈を推すぞ!と決めて初めての握手会だったため絶対に認知をもらうと意気込んでいた。

村重はその日、握手券を何枚使っても何回ループしても名前を覚えてくれなかった。

握手会に行くたびに名前を名乗り、覚えてください!と言い捨ててレーンを出た。

同じ日に田中菜津美ちゃんの握手券も2枚だけ買っていたが菜津美ちゃんは2回目で完璧に覚えてくれた。

(のちに理由が明らかになる…)(この話はまた…)


それを経て、尚更村重からの認知が欲しくなった私は最後の握手会で「名前覚えてくれた?」と聞いた。

その時の村重の顔は一生忘れないと思うwww

「あなたさ、それだけを言うだけの握手楽しいの?村重くそつまんないんだけど。まじ推し方考えた方がいいよ。」

めちゃくちゃビビったwwww

そもそも年下やし。え!?というリアクションしかできなくてそのまま帰宅した。

今思えば村重の言うてることは大正解で大正論。

その後、たぶん村重は私の事なんか覚えてないと思いつつも、村重と顔を合わせることが気まずくて推すのを辞めた。

この経験がなかったら別のアイドルに怒られていたかもしれないし、いまだに認知厨をやって推しメンから嫌われていたかもしれないと思うと村重には感謝してもしきれない。


SNSのコメントで「行けないけど頑張って」と言わない

これにはめちゃくちゃ気を使っている。

SNSのコメントは時には励ましだが、時にはやる気を削ぐものになりかねない。

昔、某アイドルくんが「行けないけど頑張ってってコメントするのやめて」といった内容のことを呟いてから意識しているのもある。

6年前くらいまでは「今日も楽しんで!」とコメントしていた。

しかし、今はコメントしないようにしている。

これにはアイドル側賛否両論あると思う。

だが、わたしはサービス業を始めて表に出るようになってから知ったのだが「行けないけど頑張って」「行けないけど応援してる」「楽しんできてね!」というコメントは「わたしはお金払わないけどね」「わたしは行かないけどね」というコメントに見えるのだ。(あくまでわたしには)

来れないなら期待させないでくれ!コメントしないでくれ!と思うことが多々あったし、わたしにはお金を払う価値がないのかな…と思うようになった。

チェーンの飲食店やコンビニ、スーパーなど、人々が日常的に使用するお店でしか働いたことがない人にはイメージしずらいかもしれないが、大半の娯楽施設で働いたことがある人はその娯楽を求める人がいないと生活が成り立たない。


つまり給料が出ない。


水族館に足を運ぶ人、カラオケをしに来る人、音楽を楽しみに来る人…………


その中で宣伝にSNSを使用していて、かつ、足を運んでくれる人がいないと経営が成り立たない我々水族館飼育員はSNSのコメントに一喜一憂することもある。


「行けないけど好き」「遠い」「通販は?」と言われると正直ため息が出る。

その経験から、わたしもアイドルに対してSNSで知らぬ間に嫌な思いをさせてないかな?と考えるようになった。



こうやって書き出してる間に

わたしは何をしているんだ?という気持ちになった。

でも、これは、きっと、7年間好きだった推しの卒業を目前に控え、わたしがどんな7年間(いやそれ以上)を過ごしてきたのか、自分で再確認するためだろうなと思った。


きっと何年か後にこのブログを読み返し、また黒歴史だと悲しくなると思うが、その日までわたしのヲタクとしての成長過程を記しておこうと思う。